葬式で使う仏式・神式用語と意味

仏教項目

末期の水
釈迦入滅の際、最後に口にしたのが「水」だったことに由来します
守り刀
死臭に群がってくる魑魅魍魎から自身を守る為に持たせる刀、農家なら鎌、魚屋なら出刃包丁、大工ならノミと刃物を胸の上に置きます。
枕団子
釈迦の具合が悪いと聞いた弟子達は「医は食から」の言葉通り食べさせようと消化が良いように餅状にしますが釈迦は口にせず入滅、食べずに置くだけです。
四華花(しかばな)
釈迦入滅の際、四隅にあった沙羅双樹の花が枯れ白くなった事に由来すると言われる。白、金、銀のヒラヒラした飾りのこと。
戒名(法名)
インド仏教に戒名はなく中国で生まれたものと思われる。日本仏教では浄土真宗だけが「釋〇〇」と三文字、他は全て〇〇〇〇居士のような六文字
塔婆(とうば)
語源は釈迦の遺骨を納めた多重塔ストゥーパ(サンスクリット語)で、日本では卒塔婆(ソットゥバ)と呼ばれ五重塔、三重塔がそうである。しかし九州地方は塔婆の無い地域も多い。
拾骨(しゅうこつ)
東日本は7寸が主流で全骨拾骨するが、西日本は4寸が主流で一部のみ拾骨する習慣が多い。
納骨
四十九日が納骨する日だと思っている人は多いが間違いである。日本は本来土葬ですから即日納骨が本来の形と言えば理解できるでしょう。

また関西方面では時々聞くが、群馬県では桐生地区だけが骨壺から出した遺骨を墓の中に撒く習慣があり他は全て骨壺で納骨する。
三十五日と四十九日
早い人は三十五日、遅い人でも四十九日には仏様の仲間入りをすると言われる忌明けです。昔は葬式中の家の前に「忌中」の半紙を貼ったスダレを掛けた。
永代供養
三十三回忌を過ぎた遺骨は骨壺から出し墓の中に撒き土に還す。カロート内は四面コンクリートで、底面だけは土になっているのはその為です。

またカロート内に棚があれば骨壺を置き、棚下の奥に三十三回忌を過ぎた遺骨を撒き上から土か砂を掛けておく。故にカロート内が一杯になる事はない。
仏壇は閉めておく
三十五日、四十九日の忌明けまで仏壇は閉めておく。簡単に言えば「まだあんたの来る所じゃないよ」という事、忌明けが過ぎたら扉を開け仏様の仲間入り。
神棚封じ(群馬県では宮川と呼ぶ)
仏壇、神棚に白紙を貼っておく事、白紙は雲で目隠しでもある。神に死は無く人の死は不浄のものとされる事からの目隠しです。
神社で葬式はしない
人の死は不浄なもの、という神道の考え方は神社内で葬式をしない事からも分る。
神は善とは限らない
神は善だと思ってる人が多いが、八百万の神やおよろずのかみと言われるほど多く、極悪人を祀る神社もあるし、実際に存在した人物を祀る神社、魔物を祀る神社も多数ある。
葬式は全国で全て違う
葬式の流れは全国は勿論、県内全域でも違うと言っても過言ではなく、同じ仏教、同じ宗派でも唱える教は違うし揃える道具も慣習も違うのが現実です。
まとめ
14年間で県内全域の斎場を利用して分るのは、全地域、全斎場毎に当り前が違うことです。そう考えると葬式でこうしなければならぬは存在しません。

例えば仏教宗派の多くは四十九日の旅をする十三仏信仰ですが、浄土真宗(本願寺)では旅なんてしないと言います。

これは僕の感覚ですが死んだら何処に行くか、どんな世界か或いは無に成るのか、さもさもらしく答えてる僧侶をみると『いい加減な奴だなぁ』と思う。

死んだことの無い人間に分るはずがないのです。死んだら仏になる。神の元へ行く。家の守り神になる。星になる。どれも正解とは思えない。

だから生きてる人間だとしたらと考えてみると、あの世から残った家族が見られるとしたら、どんな状態なら安心していられるだろう。

配偶者、子供や孫達が毎日を笑顔で元気に過ごしてる姿を見続けられたら――、僕なら安心していられると思うし心残りも無くなると思う。

故人に対し感謝やいつも温かい心でいられる最初が「葬式で無理をしないこと」だろう。これが最高の供養とも言えるだろう。

間違っても無理して派手で高額な葬式をすることではないと断言する。こうして考えると今の葬式の在り方は根本的に間違ってると思いませんか?

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